「職業ではない、生き方」…、探偵・佐久間公は、痛めつけられても、嗅ぎまわることをやめない。大沢在昌さんの「心では重すぎる」を再び。
佐久間公シリーズは、ハードボイルドの王道のようなものである。
法律事務所で調査員として雇われ、失踪人捜査を専門にしていた
二十代の佐久間公。
「感傷の街角」から始まって、「漂泊の街角」「標的走路」「追跡者の血統」
と、さまざまな失踪人調査に関わってきた。
そこで、シリーズは一旦途切れ、
私立探偵として復活した「雪蛍」そして、復活後第2作目の「心では重すぎる」。
このシリーズは、二十年以上前に読んでいたが、
それ以来の再読である。
二十代だった佐久間公も、年を重ね、この作品では
もう四十代。
一人称が「僕」から「私」に変わり、
文体も、重く、厚みを増している。
理屈っぽさ、哲学的であるところも増しているが、
佐久間公が「探偵は職業ではなく、生き方」だと語っているように、
ハードボイルドは、主人公が男なり女なり、
人間の生きざまを物語るものだから、理屈っぽさも、
哲学的なのも仕方ない。
命のやり取りを強いられても、
その生き方を変えられないという、どこまでも頑固で、
芯がぶれない強さは相変わらずだ。
友情というと甘ったるくなりそうだが、
佐久間と沢辺の、修羅場をくぐり抜けて来た上での
繋がりのようなものが、何だか、胸を熱くする。
沢辺経由の依頼で、佐久間は、漫画家の失踪の理由を探る。
同時に、「セイル・オフ」から姿を消した若者の行方も追うことになった。
ヤクザ、麻薬、新興宗教、渋谷のチーマー、そして、憎しみにこりかたまる、
不思議な女子高生の存在。
幾つもの要素が絡まりあい、佐久間が動き回るにつれ、
絡まったものがほどけていく…。