内藤了さんの「首洗い滝 よろず建物因縁帳」を読む。
愛という名の執着が怨念に変わるとき、春奈、仙龍、コーイチ、雷助和尚、小林教授たちの出番だ。今こそ、悪しき因縁を断ち切れ。
個性豊かなこのチームを、二作目にして大好きになってしまった。
今回は、近づくと死ぬといわれる滝のお話。
雨木村には、地図にも載らない滝があるという。
その滝でクライマーが事故死し、村人が滝つぼで見つかる。
死者は顔が抉り取られていた。
そして現れる観音像の幽霊。滝に浮かぶ女の顔。聞こえてくる子守唄。
そこには、どんな因縁があるのか。
この雨木村の滝に続く登山道整備計画に、
高沢春奈が属するアーキテクツが参加することから、
滝の因縁に関わり、チームは再び集結する。
今回も、おどろおどろしさと同時に、
人の想いの重さ、切なさが胸に迫る。
古いもの、歴史のあるものには、
はるか昔からの人や時代の想いが折り重なり、
積み重なりして、そこにあるということだ。
そうなると、もはや「物」ではなく、「何か」になる。
良くも悪くも、その因縁なるものを、
人は伝えていく役目を担っているのかもしれない。