今度は、公安に追っかけられる、修司、鑓水、相馬の三人。スクランブル交差点で死んだ老人の行動の意味は…。太田愛さんの「天上の葦」を読む。
修司、鑓水、相馬シリーズの三作目。
このシリーズの醍醐味は、「追っかけっこ」だ。
警察、殺し屋、公安といったものから、逃げて、逃げて、逃げまくる。
だが、ただ、逃げてばかりではない。
逃げながら、相手に反撃を繰り出す。
その反撃が決まったとき、傍で見ている者は、スカッとする。
だが、これまでの二作では、その反撃が本当に決まったのかは、
わからない。
いや、相手に痛手を負わせることができたかは…。
そして、今回も、国家の中枢、あるいはその近くにいる人物が
登場してきたことで、ああ、今回もまた、反撃は空振りするのかと、思った…。
企業のスキャンダル、そして隠蔽、冤罪といった大きなテーマを突き付けてくる
このシリーズ。今回は、報道への政治の介入という、これも大きく重い。
現代の報道の危機が、太平洋戦争へと繋がっていく。
戦時中の「言論統制」が、まるで亡霊のように、現代社会によみがえる。
報道にも「忖度」があるのか。
本当の’ことが言えない社会、そして、本当のことが伝えられない社会。
それは、七十年ほど前も、今も同じなのかもしれない。
例えば、COVID-19、私たち市民に、本当のことが伝えられてないとしたら…。
修司、鑓水、相馬、この三人は、いつも、重いテーマのナビゲーター役だ。
だが今回は、時をさかのぼる旅の中で、鑓水の出生が明らかにされる。
心の奥の、柔らかく、傷を受けやすいところに、鑓水も傷を負っており、
それを、キャラの軽さで、覆い隠して来たんだなと、切なくなり、
そんな彼を見守る、修司、相馬の人としての優しさがどうしようもなく、
心に染み入る。
三人の物語、もっともっと、読みたいです。
渋谷、スクランブル交差点の真ん中で、
一人の老人が立ち止まり、天を指さし、そして死んだ。
老人の指さしたものは何だったのか、その意味を探るよう、
あの磯部から鑓水のところに依頼が届く。
その頃、相馬は、失踪した公安の捜査員の行方を突き止めるよう、
命じられていた。
この二つの調査が、一点に集約していく。