主夫業に専念する父親と、十代の娘のほんわか、(ためになる)、おうちミステリー…。門井慶喜さんの「人形の部屋」を読む。
かつては、旅行会社で優秀な企画担当社員だったが、
今は主夫業に専念する父親、八駒敬典と、その娘、つばさの
二人が中心となって展開していくおウチミステリー。
(敬典は、”主夫”という言葉が嫌いらしく、自分を家主と
称している)
つばさが、小学生から中学までの間に、八駒家に持ち込まれる
ちょっとした謎を、敬典が解き明かしていく。
この二人のやり取りは、小学生、あるいは中学生の娘を
相手にしている、というより、まるで成人女性との
やり取りに思えるときがある。
歴史や芸術にまつわる幅広い知識は流石だと思わされるが、
大学の講義のような話を小さな娘相手にする父親とは…。
ただ、作品解説の中に、「… 家庭での日常的な会話の中に、
もうちょっと浮世離れした会話を持ち込んでみたかった」という
作者の言葉が紹介されていることから、
これは、意図されたものだと、納得はしたのだが。
娘相手に饒舌すぎる父親…、やっぱり、少々違和感あるなぁ。
これは、八駒家の背景に何か、深い謎があるのかなぁ…、
などと、見当違いの深読みをしてしまう。
それも、物語の中で、説明はされていても、妻の陽子の
登場シーンが三話(最終話)「お子様ランチ晩酌を」まで
まったくなかったことも、その見当違いを強めている。
ひょっとしたら、陽子さんというのは幻なのか、
三人に大きな秘密があるのか、とか。
で、最終話で初めて陽子さんが表舞台に立ち、
おうちミステリ―として完成したと、ちょっとホッとした。