榎本憲男さんの「ワルキューレ 巡査長 真行寺弘道」を読む。
「巡査長」シリーズ、主人公が異端なら、
物語の展開も異色だ。
いつも、事件の核が大きすぎて、
法の範疇を超えてしまう。
挙句、犯人を追い詰め、捕らえ、
「よかったね、チャン、チャン」という
結末には至らない。
好き嫌いのわかれるところだ。
今回も、LGBTだの、障害者だの、
遺伝子操作だの、生命倫理だの、
フェミニズムだの、
一つでも手に余るのに、大挙して押し寄せてこられたひにゃ…。
答えは、永遠にでないのだ。
だが、そういったことをひっくるめて、
面白いと、納得させられてしまう。
それはひとえに、真行寺の、
いい加減なように見え、事件にも人にも、
迷いながらも真摯に向き合おうとする気持ちや、
裏切ることのない、警察官としてより人間としての「まっとうな」考え方が、
余すところなく描かれているからかもしれない。
彼の行動にも、生き方にも矛盾がないところが
何とも気持ちがいいのです。
元モデルで聾者の少女、麻原瞳が誘拐された。
捜査を命じられた真行寺は、瞳の母親から話を聞くが、
その応対にかすかな違和感を覚えた。
しばらくして、犯人からのメッセージが届くのだが、
それは、母娘と同居するフェミニズムの論客、デボラ・ヨハンソンに対し、
これまでの思想や言動の誤りを認め、
活動から身を引くよう要求するものだった…。